小林麻央 自宅療養の最後が痛ましい。何となく分かっていたけれど、という声も多数に

小林麻央 自宅療養の最後が痛ましい。何となく分かっていたけれど、という声も多数に

フリーアナウンサーの小林麻央さん(34)自宅療養中、22日夜に死去された。
最後まで小林麻央さんは、末期乳がんという大変な病気を自宅療養で治そうと必死の様子だったようだ。

だがそれも空しく、最後には夫・市川海老蔵さんに看取られながら小林麻央さんは息を引き取ったという。

自宅療養中、最後となった自身のブログKOKOROは亡くなる2日前、6月20日で止まった。
21日に容態が急変したという、ある意味その証拠となっているようだ。

最後に海老蔵さんにかけた言葉「愛してる」があまりにも痛ましく、そして眩しいくらいにとても力強い言葉となって私の心を打ち続けている。

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小林麻央が自宅療養を望んだことで、最後という意味が何となく

小林麻央さんは、病院で治療を継続するよりもたびたび自宅療養を望んでいたことが知られている。
最後にはその希望通りに息を引き取った。

いろいろ想いは錯綜するけれど、末期がんで自宅療養を切望。

同じような患者を見たことのある方だったら、言葉に出来ない中、「何となく分かる」ことも多いのではないだろうか。
少なくとも私自身そう思っていたし、ネットの情報などでも同じような感想を持つ意見が多い様に感じる。

最後を迎えてしまった今、思い浮かんでしょうがないのだが、16年9月にQOL手術を受けたことをブログKOKOROで告白した小林麻央さんは、QOLが根治手術でないためもあるし、すでにある程度まで自分の病気が相当に大変なことを察知していたはずなのだ。

気丈にも小林麻央さんは自身が乳がんだということも知っており、それでいながら主治医に自分の余命がどのくらいあるのか、ということまで尋ねたことを告白していると聞いている。

医師の方では直接な回答は避けたとも伝え聞いている。
小林麻央さん自身、その医師の様子を肌で感じて、何かを理解した。
それであえて自宅療養を目指した、という考え方も出来るのかも知れない。
天国
最後を迎える心境の人の心をたやすく推測は出来ない。
私もどう言葉をつないで良いか本当に分からないけれど、日に日にやせ衰えていく自分の姿を見つめ、彼女はブログの中でも「恐れていたことが起こった」と素直に告白している。

だが、それでも最後まで自宅療養の合間にブログ記事を投稿し、そこで見せるのは必ず笑顔。
私も末期がんの人を何人か見た経験があるけれど、誰一人としてあのような大変な病状の中、ああいう素晴らしい笑顔をする人を見たことがなかった。

いま、最後という言葉は、本当に残酷に私の中で響く。
同時に小林麻央さんの命を削った乳がん。
その恐ろしさも切実に伝えられている。

衆議院議員の三原じゅん子氏も、自身が子宮頸がんにかかった経緯もあるため、この訃報に接した時に悲しみと哀悼で涙の中、
「がんが憎い」
と語っている。

病気は人の貴賎や地位身分にかかわらず平等にかかるし、そして死も不公平なく訪れる。

だが、同じ病気でも小林麻央さんのかかった乳がんは、三原じゅん子氏の言うとおり、本当に残酷な病気というしかないかも知れない。

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残してくれたものは大きく素晴らしい

ただ、自宅療養していた自身を通して小林麻央さんは乳がんの危険さ、そしてがんの早期発見の大切さというものをブログ読者を通じてはっきりと世間の人たちに知らせてくれている。

彼女の病状とその変化をブログの中で追い、乳がんという病気の怖さ、実態を初めて知った方も多いにちがいない。

これは間違いなく、アメブロで自身のブログKOKOROが殿堂入りした小林麻央さんでなくては誰も叶わない偉業とも言ってよい。

私もKOKOROは逐一閲覧しているが、一時は訪問者が殺到して書き込みが膨大になり、運営側が書き込み欄を閉鎖して読めない状態にさえなっていた(現在は閲覧可能)。

患者の側から見た病気の有様、それを伝えているという意味で大変に価値の高いものにちがいない、と私は思っている。
薔薇
自宅療養となる以前、16年9月から小林麻央さん自ら運営していたこのブログKOKORO、1年も経たない間に357記事という膨大なものとなった。

一つ一つの記事は短いけれど、その中で見せている日々の生活や子供たち、食事や 病気の様子など、末期がん患者のものとしては思えないほどの精力的な投稿内容になっている。

最後となった6月20日、そこには大写しで小林麻央さんの自撮り画像、鼻にチューブを通しながら顔の輪郭が一回り小さくなった彼女が映し出されていた。

それでもその表情、自宅療養の安心のせいもあるのだろうか、非常に温和で優しい微笑み方をしている。

だがそういう自身を通して、乳がんの末期ステージ4という病状がどんなものなのか、どういう治療をするのかを最後まで伝え続け、それによって間違いなく若い世代の女性たちにも乳がんという病気の深刻さを教えてくれた。

病気に対する前向きな姿勢とともに、私たちに残してくれたものは大変大きく、素晴らしいものにちがいない。

ママのそばに少しでも長くいたいと

小林麻央さんが22日に息を引き取った後、夫・市川海老蔵さんが明くる6月23日午後、公演中の渋谷のシアターコクーンで報道陣に会見し、涙ながらに臨終報告を行った。

姉の麻耶さん、そして海老蔵さんらに看取られながら息を引き取った小林麻央さんが最後に彼に伝えた「愛してる」という言葉はいまだに私の心に突き刺さったままだ。
この言葉を聞いて涙しない女性はいない。

そしてなお涙を誘うのは二人の子供たち。
明くる24日の朝、長女の麗禾(れいか)ちゃんは母・麻央さんの亡骸がおかれている板の間の部屋で一晩寝て過ごしたことを海老蔵さんは自身のブログABKAIで伝えている。

“少しでも長くママのそばにいたい”と言って離れなかったようだ。

自宅療養というのは自分にとって最後を意味すること、というのを小林麻央さん自身おそらく分かっていたにちがいない。
そして同時に、子供たちと最後まで一緒にいられるという意味でもあった。

心よりご冥福をお祈りして止まない。

小谷祥子

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