厄除けの時期には大安がいいと聞いて行ってみた!そしたら思わぬ結果になってしまった!
厄除けに行かなくてはならない年齢になって、さあどうしようか、と迷う女性は多いかも知れない。
まず厄除けする時期で迷う。
よく聞くのは「大安」という六曜の日取り、時期的には正月から節分の間、ということ。
そんなに時期や大安の日取りなど気にしないで良い、という声もある。
でもやっぱり迷うものだ。
しかも女の30代には厄年が2個もあって、前厄と後厄を合わせれば10年の間に6年も厄除けを考えることになる。
いちおうそういう大安と、他にも時期的に「これがいいんじゃない?」という思惑が働いてちょうど神社に参拝してみた。
その結果どうだったか?
そして、結局厄除けの効果ってあったのか?
それをちょっとお伝えしてみよう。
なぜ大安に厄除けに行ったのか?
厄除けのお祓いには大安、そして時期的には正月がいい、とかいわれる。
けれど後で分かったことだが、実のところ厄除けはあまりそういう日取りや時期で選ぶ必要はない。
私が大安を選んだのは、結局のところ縁起担ぎ、そして気持ち担ぎだった。
要するに、大安に行った方が自分的には安心できる。
何の根拠もないけれど、ぶっちゃけそれだけ。
でもたぶん同じ思いの女性は多いと思う。
時期的にも正月なら、ちょうど初詣をかねて神社仏閣に行くチャンスと重なる。
正月が厄除けのお参りに選ばれる一番の理由だ。
お祓いは基本いつでも!時期や六曜にこだわらないでOK!
ただ実際、大安以外の六曜の日取りだって厄除けのお祓いはやっているし、時期も基本選ぶ必要もない。
もっといえば基本的に、一年365日いつお祓いに行っても良い。
なお、六曜とは、中国から来た古い暦のひとつで、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六つの曜日に分ける考え方。
結婚式でよくいう「大安吉日」等がそれで、日にちの吉凶に使われる事で知られている。
言葉のイメージで縁起を担いでいるだけ
でもはっきり言って六曜という日にちの数え方自体、厄払いと何の関係もないらしい。
本当に言い伝え、迷信レベルだ。
結局言葉の印象でみんな決めているに過ぎない。
たとえば大安という言葉には幸せをイメージする。
結婚式などお祝い事とか神事に適しているような響きだ。
仏滅とか友引などは災難とか不幸のイメージがある。
特に仏滅なら「仏様が全滅」みたいに聞こえる。
でも、ただそれだけと言って良い。
単に言葉の雰囲気による縁起担ぎだ。
大安の誕生日に厄除けが超おすすめ?
だが、そういう大安の内、私が厄除けの日に選んだのは結局自分の誕生日だった。
これも時期的に必要なことでも何でもない。
やっぱり気持ち的にすっきりするだけのこと。
じゃあなぜすっきりするのか?
というと、実は厄年の年齢の数え方に「秘密」があった。
厄年というのは数え年で計算する。
これは生まれた年を1歳、その後正月がくるたびに1歳ずつ年を数える、という方法だ。
「考えてみれば不思議。じゃあ、大晦日に生まれた人は次の日の正月にはすぐ2歳になるじゃない?」
全くその通りなのだ。
でも一応習慣として、「前へならえ」で従うしかない。
誕生日当日に厄除けのお祓いで厄年ウィルスを予防?
そして厄年の年齢は、その誕生日が来た日から始まるわけだ。
そうなると、誰でも誕生日当日にお祓いを済ませておけば、厄年に突入した後、お祓いをしていない日が、一日もなくなることになるわけだ。
つまりインフルエンザの予防接種みたいなもの。
「厄年ウィルス」にかかった日が一日もない。
「スキがない!」爆笑。
これを偏見だという友人女子もたまにいる。
まあそうかもしれない。
でもそこまでやっている人はやっぱりいると思う。
気持ちが良いし安心もできるのでおすすめになる。
私もこのやり方、まねしていた友人女子もいたし。笑
見かけは大安でも中身は仏滅だった私の厄除け参り
で、厄除けの時期と大安を見越して私がある神社にお参りに行った時のこと。
大安だからそんな悪いことは起こらないだろう、と思ったらそれどころか全然ちがった。
平常運転みたいにして、悪いことがバンバン起こった。
それも自分的にはとんでもなく悪いことだ。
なんと浮気が私にばれて別れた彼氏が、私の誕生日を覚えていて、わざわざその日に携帯で連絡をよこしてきたのだ。
それもこちらのほとぼりが冷めたと思ってか、平気で私に会いたいとかいう内容の連絡。
後で人づてにその元彼のことを聞いてみると、実は浮気の相手だった彼女が今度は別な男性とできてしまって、元彼がまた振られるハメになったんだとか。
何考えてんだコイツ?
因果応報みたいなものだ、とこの点だけは神仏の存在を信じた私だ。
でも元彼だけはもう信じていない。
で、携帯同士でのやり取りだといいながら、その元彼の言い分がすさまじい(!)
「新しい相手を探すよりも、復縁で何とかなればその方がうまくいくことが多いので、連絡をしてみて感触を探ってみたんだ」
とかいう内容をしゃあしゃあとコイツは続ける。
最初はそれでも本音を隠していたみたいだが、結局私がだんまりでガン無視するものだから策に窮したのか、しまいにはみんな洗いざらいしゃべってきた。
私も終いには頭に来て、神社で切れて携帯で怒鳴ってしまった。
大勢の人たちがいる前で、冷や汗が出るほど恥ずかしかった。
厄年・厄除けは昔の知恵と迷信が同居!女の30代は厄介な時期
はっきり言って、前にも厄除けには行ったことがあるけれど、今回のは気分的には最悪になった。
だからいきなり結論だが、厄除けにご利益ばかりを頼ってみても不毛だ。
厄年にはよく病気になりやすいとか、心身の変化、生活習慣の大きな崩れや変化があるから注意、ということをよく言われる。
けれど、自分の気持ちをはっきり言ってしまうと、
「30代全体、40代全体が全部厄年じゃないの?」
とも思うがどうだろうか?
そう言うと終わってしまうかも知れないけれど、でも確かに女の30代は生活や健康面で厄介な事がズンズン連なってくる。
この辺、迷信とともにそういう時期には要注意、という昔の知恵が籠められているはずだ。
鵜呑みにしたり依存は禁物?
そしてもともと科学的には根拠がないわけだから、その分かえって気持ちの持ちようの方が大切になるはずなのだ。
現に大安の誕生日に意気揚々とお払いに乗り込んだ私だったが、あっという間に急転直下。
こういう気持ちの弱さじゃやっぱりいけないのだろう。
幸せは自ら呼び込む、と言ったのが誰だったか。
厄年でないから、厄除けしたから、と鵜呑みにして依存するような気持ちは控えることが大切ではないだろうか。
そんなわけで、こういう行事には真剣に取り入れるべきところ、そうでないところの両面がある、ということ。
私の失敗談を反面教師にして、お読みいただいた皆様には何かのお役に立てていただければ、と願っている。
栗本はるか