福山雅治「最愛」の意味がすごく複雑?すばらしい曲だけど、それ以上に不思議な魅力も
福山雅治さんの曲の内、「最愛」という曲。
その歌詞の意味するものは、彼のファンであってもちょっと面食らうような内容になっている。
この曲はそのために、ファンの中でも好き嫌いの分かれやすい曲だ。
もちろんこの「最愛」、すごく美しい歌で、映画『容疑者Xの献身』でも主題歌に採用されたほどの名曲だ。
福山雅治さんの実像とともに、この「最愛」の中に他の彼の曲には見られない深い意味があるのではないだろうか?
それを独断と偏見で申し訳ないけれど探ってみた。
この曲に込められた過去への想いは独特
この福山雅治さんの「最愛」というのは、その歌詞の意味が単なる恋の歌という枠にはまりきるのかどうかすらわからない。
歌詞をひもとけば、別れた恋人への切ない思いを断ち切れない気持ち。
それを語っているためだ。
考えようによってはそういう思いをいつまでもたれている別れた当の相手にとってはすごい邪魔なものになるだろうし、その気持ちはわかるけれど未来志向でもない。
でもよくよく考えて見れば、それが私たちの本来持ってしまいやすい悲しい気持ちの吐露ではないだろうか。
福山雅治さんは女性の気持ちを歌詞に託して、すごくナイーブに、そして繊細に心の移り変わりや愛の姿を曲に託すことが多い。
でも「最愛」はある意味、その究極のものとも言えるのではないだろうか。
未練を断ち切れられない私たちのような弱い心しか持たない人間の有り様を照らしているかのようだ。
あってはいけない悲しさを歌うからこそ光る感動が
福山雅治さんはこの「最愛」で、もしかしたら自分自身の過去の恋心について語っているのかも知れないし、また周囲の人とか友人の体験を語っているのかも知れない。
だがこのように、手の届かない人になってしまった恋人への想いという意味を歌に託したというのは、もしかすると福山雅治さんが最初で最後になるのかも知れない。
彼氏かこういう歌は作り出せないし、彼以上にこの歌を歌い上げるのにふさわしい人はいないと思うからだ。
この「最愛」が発表されたのは2008年10月4日、東野圭吾さんの推理小説『容疑者Xの献身』の映画化、その主題歌だったが、その1年後に柴咲コウさんとのコラボで再度リリースされている。
もうかなり年月がたっているというのに、福山雅治さんのビッグネームとともにこの歌の存在感、ますます大きくなってきているように思えてならない。
柴咲コウさんとのコラボが泣ける!恋の悲しみは成就しないからこそ美しい!
何となくだが、自分の中では柴咲コウさんは福山雅治さんがそのまま女性になったような印象があったりする。
こういうすごくデリケートで透明な歌を歌わせればやっぱり彼女しかいないだろう。
そして何よりビッグネームの女優という彼女が、歌唱力とともにこの曲の意味にさらなる彩りを添えているようにも思えるのだ。
男性の福山さんが歌う、その情感を彼女は見事に表現してくれている。
この歌詞をここで書くことは控えるが、別れて逢えなくなってしまったからこそより切なく感じるのは、失恋した女性だったら絶対誰でも経験していることだ。
恋愛というのは別れたからすぐに心を切り替えられるものではない。
多くのものを引きずって、傷ついてしまうしかない。
それを癒してくれるのは時間しかない。
そのただ中にある気持ち。
それを見事に歌い上げて、そして慰めてくれるかのように寄り添うのがこの「最愛」。
未来に向かわせようとするのではない、過去を振り返らせるのがこの曲なのだ。
でも、結局はそれでも進まなくてはならない。
そのときにいっそう感じる悲しさがある。
いろいろ綴ってみたけれど、この曲は不思議な曲で、普通の恋の歌ではない。
未練、忘れなられない切なさ、過去。
それを振り返らせて、しかも光り続けているこの曲は、もしかしたら福山雅治さんのもっともプライベートな内面を表し、そして同時にもっとも多く人たちから感動だけでなく、共感を呼んでいる歌ではないだろうか。
小谷祥子