厄年のお祓いは必要?形よりも気持ちの持ち方に見直すべきことがある!
厄年だからお祓いが必要、と思うかどうかは人それぞれ。
厄年は災難が多いと思われている歳なんだから、気にしだしたらすっきりしない。
そういう時にはやっぱりお祓いとかお参りが必要と思って行ったほうが良い。
実際に効果があるかどうかは二の次。
フロコロと相談しながら、というのが私のスタンスだ。
厄年やお祓いに科学的な根拠などない。
だから、その意味では必要ないけれど、気持ちが晴れることはあるからだ。
でもむしろ、自分の気持ちのあり方に注意すべきことがありそうだ。
考え方次第ではすごく大きい。
厄年のお祓いは心の満足のために必要?
厄年や祓いは、そういうわけで迷信みたいなものだから、本来的には別段無理して行く必要もないと言ってよい。
もちろんよく言うように、そういう厄年になったら体調とか生活が崩れやすい、というのもあるかもしれない。
でも結局のところは、お祓いにそういう災難を抑える力はない、ということになる。
だからお祓いの必要を感じてしまうのは、あくまでも心への影響になる。
一つには自分自身で安心感、満足感を得たいため、二つには周囲、特に自分の両親にそういう姿勢を見せて安心させたい、という願望があったりするときが多いはずだ。
自分の気持ち、周囲の気持ちを考えて、心の満足を得たいためなのだから、それはそれで必要と思っても無理はないだろう。
安心しきって油断し過ぎてしまうのはリスク大!
でも、実はこの裏に見過ごせない危険がセットになって存在しているのをお気づきだろうか?
それというのは、結局厄年にそういうことをすることで災難を避けることができる、という安心感を持ってしまうために、逆に不測の災いを受けてしまうかもしれないからだ。
つまり、心の隙、油断や慢心が出てきてしまい、例えば例年の定期検診をしなかったり、車の運転などが雑になったりと、すべき注意をしないということをしてしまう可能性がある。
お祓いに実際の効果はないと考えるのはそれでよいとも思う。
けれどそう知りながら、やっぱり済ませた後は安心感も出る。
気持ちも晴れる。
これは間違いない。
でも逆に、それで自己満足が生じて、心に隙もできるのではないだろうか?
たとえばそこから間違った安心感が湧いてしまい、本来気をつけなければならない健康面や生活面での注意に目を向けなくなってしまう。
そういう危険を自分自身で呼んでしまう。
ありえないことではないだろう。
厄年はありがたいもの?その周辺の年齢は注意が必要に
ここでお祓いをどう捉えていくべきか?
それを考えるべきだ。
厄年だからと言って災難がいきなり襲いかかるとも言えないし、そういう年になったので心配な気持ちを晴らす、心の整理のために必要を感じてお祓いをすると言って良い。
けれど、結局厄年に当たる年齢と、その周辺の年齢になったら様々に体調や生活の変化、体の衰えなどを感じるようになる。
だからそのためにきちんと実生活上で備えておく。
厄年はそういう注意を換気する、という役割があると考えるべきだ。
そしてその意味でありがたいものではないだろうか。
だから、なまじお祓いをすることで災難を防いだ、逃れた、と考えてしまうと、いわば“本末転倒”のはず。
本来持っているべき用心の気持ちをも消してしまうことにもなる。
そうなれば、かえって災難を呼び込んでしまう結果にもなりかねないだろう。
こういうふうに生活や健康上にはしっかりと目を向け続け、注意を怠らないようにするべきということを第一に考えれば、厄年のような年齢に差し掛かったら人それぞれ。
お祓いしてかえって注意をしっかり持てるようにリフレッシュできる方は必要と思うべきだし、逆に満足しきってだれてしまう、などと私みたいな思考パターン(笑)のような方はまず心の持ち方を見直すべきだ。
そしてもちろん、そういうことをする必要ない、それで気持ちの平衡を保ってしっかりと注意を怠ることなく暮らしていける、という方はそれでも良いはずだ。
アラサー独身女子はこだわるのも無理ない?
だから、言ってみれば実生活のために厄年への考え方、そしてお祓いをどう考えていくのか?
それが大切になるのではないだろうか。
そしてそれこそ人それぞれになってくるに違いない。
例えば私の知人女性も、私と同じく独身アラサー女だが、結局なかなか出会いがないことに焦りを感じるばかりで、ものすごくデリケートになってしまっている。
ちょっとしたことでも験(げん)を担ぐというか、風水とかも詳しいのだ。
それが当たるかどうか、私はむしろ「信じない派」なのだけれど、彼女にしてみればもともと神経質過ぎるところがあったので、そういうものに傾いてしまうのかもしれない。
でも、出会いとか縁とかはどうしても人知を越えた何かが作用している部分もあったりする。
そこに出会いのないことで切羽詰まった気持ちになっている女性なら、多かれ少なかれ誰でも持ってしまうことだろう。
知人のお坊さんも全然信じていない(?)お祓いの力
程度の差こそあれ厄年とかお祓いの必要は、そういうスピリチュアル的なものを信じている人の中には強く感じる方もいるだろう。
また、たとえそうでなくとも、付き合っている彼氏と別れたり、破局したりして心が折れてしまっている女性は、何かに頼りたいとも思うのが人情だ。
そしてこういう厄年、そしてある意味必要以上にこだわってしまう可能性が大きくなることもあるかもしれない。
でも、そういうわけで現実的に何の効果もない。
そういう実際の形よりも、心。
気持ちをすっきりさせて心を晴らす、それ以外にはないと言ってよい。
だから、中にはそれを必要以上に何か神秘的、スピリチュアル的な意味があるなどとこだわってしまう方もいるようだが、いかがだろうか?
なお、一言これに言い添えると、私の知人のお寺のお坊さんも、檀家の人からお祓いを引き受けているのに全然自分では信じていない(良いのかな?)。爆笑
他にも例えば、お祓いだったらやっぱりお寺よりも神社の方にこだわりたいとか、お寺だったらこの宗派しか私は信じていない、など、様々なこだわりを持つ方もいるようだ。
そういうことについてはひとまず自由かもしれないけれど、生活や安全、健康になくてはならない心の用心や注意。
言ってみればどんな年齢でも必要になる。
これをどうか忘れないでおいていただきたい。
小谷祥子