霊って一体存在するのかしないのか?果てしない謎にズバッと回答!

霊って一体存在するのかしないのか?果てしない謎にズバッと回答!

霊とか心霊現象。
こういうものが存在するのか、それともしないのか。
今までいろんな人たちによって散々に議論がされている。
それでもいまだに決着がつかないでいる。

でも結局、だれでも興味を持ってしまう話題でもある。
だから果てしもなく「霊は存在するのかどうなのか」という議論がいまだに続いているにちがいない。

でも一体、この謎に回答できることってあるのだろうか?
と誰でも思うところ、ズバッと一刀両断の回答がありそうだ。

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「存在するのかしないのか」ではなく「別な問題」!

私の結論を言ってしまうと、もしかしたら驚天動地みたいな感じかも知れない。

でもあえて言ってしまうとこうなる。
霊とか幽霊、そして心霊現象などという物が存在するのかどうか、ということは結局「どっちを信じているか」でしかない。

霊が存在するのかどうかというのは科学では証明できない。
だから存在しない、と言い張る人も多い。

けれど一方で、実際にそういうものを見たり体験したりした人にとっては「存在しないわけないじゃない!あれだけはっきりと見えたんだから!」
となる。
私の友人にも約何人かいたりするのだけれど、もしかしたら錯覚とか気のせい、というのも原因なのかも知れない。
ろうそく
でも結局のところこの両極端の人たちをつかまえてみると、

幽霊が存在する、存在しないとことをお互いに信じさせることが出来ない。

ということは。

霊が存在するのかどうか、ではなく、存在することを信じるのか、存在しないことを信じるのか。

というように、信じるかどうかの問題ではないだろうか。

証明したって信じないでしょ?

霊が存在するのかどうかについて、仮にそれがいたとかいないとか証明できたとしてみよう。

みんながみんな、それを信じることが出来るだろうか?
私はNoだと思う。

科学でもおまじないでも良い。
存在すると証明しても、存在しない、と証明するでも良い。

どんな形で霊が存在するのかどうかを証明できたとしても、多分それを信じる人、信じない人が絶対に出てくる。

そして少なくとも事実、今までそうなっているはずではないだろうか。

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「科学的に証明」というのはアテにならない?

いま、ふつうに考えると幽霊とか霊を存在するのかどうか、証明するとなるとほぼまちがいなく科学的な調査や研究が主になるようだ。

証明できるかどうか、という考え方自体が科学的な思考から生まれているのかも知れない。

でもそんなわけで、まず科学的に「いない」と証明できたとしよう。
科学
しかしながら科学なんて日進月歩。
後からいくらでもそれまでの科学的な証明を否定するなんてことはよく聞く話だ。

それどころか当事者の科学者ほど、科学で証明できないことが多いと知っているとも聞いたことがある。

だからこそ、この世の減少で科学的に分からなかったり証明出来ないものがどれほど多いか、それを一番分かっているのが科学者だとか。

つまり科学者でさえ分からないことだっていくらでもある。

そして、もしかするとどんなに時代が進んでも、同じかも知れない。

でも、そうなると今の時点で「ある」とか「ない」とか言ったり証明できたりしても、後になっていくらでも覆ることになったっておかしくない。

それを世間のふつうな思考バランスを持つ人たちというのは、
「科学だってわからないことがあるじゃないか」
「科学なんて信用できない。あーだこーだとどんなにドヤ顔して証明できた、出来なかったと言ったってそれが後で“ハズレ”ることだってあるじゃないの」
と。

でもこういう主張が、私たちにとっては一番説得力があるのではないだろうか?

そして、こういう主張をする人たちを「それはちがう」と説得する事は出来るだろうか?

それどころか、霊の存在を証明することと同じく、ムリじゃないだろうか。

「証明できる、できない」よりも「信じる」「信じない」が先になる

だから結局、科学でYESかNOを出すのはムリ、と言うのが私の持論。

人間の心みたいな物で、霊なんて科学的に存在するかどうかは基本的に分からないからだ。
(たまにTVの特番みたいにして「幽霊の存在を科学的に証明」みたいな特集があるけれど、TV自体がこのごろ世間で信用されていないのでひとまず除外)
心

「存在するのかどうか」は「信じるかどうか」のすり替え?

だから後は、人それぞれに霊とか心霊現象を信じるのかどうか、という「考え方」の問題になってくる、と私は考えている。

ということはこの記事のタイトルにある「霊が存在するのかしないのか」という謎は、それを「信じるのかどうなのか」と言う心の問題ではないだろうか。

そして、今の世の中でおおっぴらに「私は霊を信じます」と言うのがすごくリスキーでアブナイ。

だから、「存在するのかどうなのか」という言い方にすり替えたり、または本当は信じているのに、他人に話す時には「信じていない」と言うスタンスをつくっているのではないだろうか?

結局「誰もが分かる方法はこの世にはない」?

そういうわけで、結局科学でも証明できなければお手上げ。

心霊体験を持つ人も、そんなものなどいない、と頑として主張する人には説得力なし。

だから結局今の時点では「どこまで信じているか」でしかない、と私は考えるのだ。

じゃあ永遠に霊が存在するのかどうかは分からずじまいなのだろうか?

私はそうだと思う。
少なくとも生きているこの世では。

もしもそれが実感として分かる時があるとすれば、やっぱり自分の命がつきてあの世に旅立っていった時しかないかも知れない。
棺桶
霊とか幽霊とか、怖い物見たさの興味から本当にいるのかどうか、よく考えてしまう人もいるけれど、それを信じるかどうかは自分一人のもの。
それで満足しようとした方が心の平和にはよいのではないだろうか。

小谷祥子

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