諦めたらそこで試合終了とは恋愛にも言えること!ぜひ知っておくべきことがある!

諦めたらそこで試合終了とは恋愛にも言えること!ぜひ知っておくべきことがある!

人間諦めが肝心、などと言われる。だがその逆に、諦めたらそこで試合終了、ということもまことしやかに語られることが多い。
と言うか、むしろ後者のほうが色々と考えさせられるし、私たちの恋愛の事情についても当てはまることが多い。

私たち30代の独身女はまさに「諦めたらそこで試合終了」、それで人生終わってしまうような恋愛のあやうさ、一事が万事を左右するような大きな節目のようなものを感じることも多い。

諦めたらそこで試合終了、とはそういうデリケートな私たちの年齢の恋愛の考え方にピッタリ当てはまりそうだ。
この言葉、一体どういうふうに応用すべきだろうか?

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諦めてはいけない?生涯独身につながりかねない人生という試合の終了に提言!

「諦めたらそこで試合終了」という言葉、もともとは恋愛ではなく、20年ほど前に連載していた少年ジャンプの漫画「スラムダンク」(’90〜’96 井上雄彦)の湘北高校バスケ部監督・安西光義先生の名文句になる。

この「諦めたらそこで試合終了」が世間で漫画の人気とともに長らく語り草になって、一つの啓発的な発言として今も生きている、 恋愛にだって応用されるというわけだ。

漫画の中の話とは言いながら、すごく含蓄がある言葉には違いない。
そして確かに、この言葉を別な表現で言い表したものに「失敗は成功のもと」ということわざもある、と私は考えている。

ちょっと回りくどかったけれど、私たちは確かに恋愛とか出会いの場で、そういう諦めか継続かの岐路に立たされてしまうような年齢になっている、と言ってよい。
婚活や結婚の可能性から言えば、20代の頃とは違い、私たちが結婚できる可能性はどんどん縮んでいくしかない運命だ。

何しろ35歳〜45歳のうちに結婚できる可能性、なんと全体の女性の1%をも切ってしまうほどの不景気振りになっている。
数字的に見てしまうと、どうしても“人間諦めが肝心”というのが絶対に素直な選択肢になってしまうのだ。

でも、確かに諦めたらそこで試合終了。
婚活や恋愛の場で諦める、という行為をすることはイコールの意味で生涯独身を選ぶということにつながる。

一人寂しく、結婚もできず子供も産めず、孤独死を迎えることとなるわけだ。
それは嫌だ、だからこそ諦めたらそこで試合終了。

恋愛は甘い夢でもあるけれど、辛い現実でもある。
でもその辛さを私たちは今、一番正面から受け止めて乗り越える。
それが必ずできなくてはならないはずなのだ。

そしてその原動力として、上のようにまずはマインドをしっかり保って現状打破に取り組む必要がある、というわけになる。
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ただ、口で言うのは簡単だけれど、だからといってわずか1%未満のような結婚の確率。これにどう対抗しようというのか?
結婚はともかくも、20代後半〜30代前半の女性では恋愛経験すらないという人が全体の4分の1にも達する勢いだ。
それをはっきりと示せないのでは、やっぱり不足というしかない。

だからここで私は、自分なりに考えてみた結果として、多少の提案をしてみたい。
くどいようだが全ては
「諦めたらそこで試合終了」。
そうなってしまうのだ。

数字のからくり?でしおれて諦めるべきではない?その背後にある可能性に着目を!

確かに恋愛経験のない人、少ない人の数は年々上昇傾向になっている。
そしてもちろんそれと平行して、生涯独身で過ごす予定に数えられてきている女性の数も年々増加傾向だ。

だがここでぜひ着目していただきたいポイントが有るのだが、恋愛経験がない、ある、と言うのはもちろん現実に彼氏がいた場合に限ることになる。

だが実際に考えればすぐにお分かりいただけると思うのだけれど、彼氏がいる状態もそうだけれど、特に彼氏なし、経験も希薄という状態には、恋愛の可能性という尺度で考えた場合、様々なレベルに別れるはずなのだ。

例えばもう少し頑張れば彼氏が本当にできていたかもしれない、あるいは付き合っている男性こそいないけれど、その代わり結婚相手にふさわしい男性とはひとまずはごく親しい関係に発展していた、などという場合だ。

恋愛経験がないとか、結婚する(できる)確率という世間に知られている数値といのは、そういう表面に出てきていない可能性や現状をバッサリと切り捨てているはずなのだ。

だからもしもそういう表面上に現れない状況をも考え合わせて再び統計を出してみれば、もしかしたらだがその実数はもっと楽観できるものになっているのかもしれない。

もちろんこのあたり、いたずらに楽観視するのは危険だから、あくまでも単に“可能性”に過ぎないとしてみるのだが。

だが、少なくともこういう世間に知られているすうちだけではなんともいいがたい、それこそ
恋愛でも「諦めたらそこで試合終了」ということは容易に当てはまるということが言える。
そう考えてよいのではないだろうか?

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自分なりの出会いの仕方を考えてみることも大切に?

そしてその上で相手探し、結婚の出会いを求める努力をもきちんと勧めていく必要があると思うのだが、まずそういう直接的に出会いや婚活を求めて、様々な専門サイトや業者に登録しておく、というのもメジャーな手段に上がるかもしれない。

だが結局みんながみんな、そういうネットや業者による出会い、婚活を続けていた結果が今のような非常に厳しい現実の結婚や出会いの難しさになっているのではないだろうか?

だとしたら、確かに「諦めたらそこで試合終了」になってしまうけれど、そういう失敗続きの恋愛や出会いの求め方を一旦脇においておくこと。

そして自分なりに考えを巡らせて、新しい出会いの仕方や結婚相手の探し方を自分自身で模索し、作り出していくことも視野に入れておくと良いのではないだろうか、と思う。

自分なりの独自な出会いの方法、相手の見つけ方を確立しておけば、極端なハナシその方法を採用して行くことになるのは自分一人。

ライバルなどもいない、文字通りのブルーオーシャンまたはそれに近い“自分だけの独壇場”になる場合だってあるだろう。

そうなれば自分ひとりが一番恋愛や出会いの持てる、一番近いところにいる場合だって多くあるのではないだろうか?
ハート

間接的に出会いを求める環境がおすすめ

そう考えた場合、今までのように直線的に出会いを求めて婚活や出会いサイトなどの利用をするよりも、一歩二歩と回り道、間接的なアプローチを取る方法の方が有望視されると私は信じている。

間接的なアプローチだから性急な人には向かないだろうし、むしろそういう方が特に女性にとっては向いている方法だと感じている。

例えば地域のボランティア活動や様々なイベント、これに一緒に参加して多くの交流を持つこと。
または趣味の世界への進出を広げて、結婚相手となる男性が多くいそうなサークル活動やコミュニティ、運動クラブに加入したりするのも良い方法となる。

このあたりは垂直思考というより、水平思考みたいなもので、直接的な出会いの求め方が無理なら間接的に、自然な流れで、という方法になる。

ただ、間接的だから長い目で見ることも必要になるし、焦りは禁物だ。
そして何より、息が長すぎてだれやすいこともあるかもしれない。
諦めたらそこで試合終了、というのはそういう長丁場での見切りのときにももたげてくる忍耐の大切さをも捉えている、と言えるだろう。

恋愛はどんな年代もそうかもしれないが、出会いが成功してもその後、年齢がアレだと言って結婚を焦ったりしたらそこで相手の男性との関係がこじれてしまうことだってある。

諦めたらそこで試合終了、というのはある意味粘ることを勧めている意味もあるけれど、どうじにそういう長い忍耐も覚悟させることも含んでくるに違いない。

諦めない気持ち、甘い出会いや幸せな結婚を迎えるためにもぜひ養っていっていただきたい。

栗本はるか

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